コラム第2回  幻の一冊

ミステリファンの皆さん、ご機嫌いかがですか。
管理人二度目の登場です。
さて、今回のお題は…と考えていると、スタッフからアドバイスが。

「推理研なんだから、ミステリの書評とかやったらどう?」

確かに。しかし、あちこちの推理系サイトを見てみると、凄まじい数の書評群が…。内容も濃く、これでは私達後発のサイトは全く太刀打ち出来ないぞ。
ゲーム開発の原点を思い出せ!手数や技術で勝てないなら独自性だ。オリジナリティーで勝負だ。

というわけで、今回は「幻の一冊」についてお話ししましょう。
「珠玉の一冊」とか「思い出の一冊」とかのコーナーはどんなサイトにもよくありますが、これは違います。あくまで「幻」です。お間違えないよう。(当社比)なお、ネタバレはあるように見えて、実はありません。

皆さんは本格ミステリをどのように読みますか?
本格ミステリは文学でありながらも、文学でない一面を併せ持っています。このため、読者によっては結構へそ曲がりな読み方というのが成立します。
私は基本的に一冊を二度読みます。
このうち二度目の読み方は、恐らく皆さん方多くの読者と同じく、「物語を楽しみつつ時々頭を使って」というやり方です。極めてノーマルです。

では一度目は?最初に読む時は?

えらく前フリが長くなりました。
私が今回ご紹介する幻の一冊、それは東野圭吾氏の「十字屋敷のピエロ」です。この作品は確か講談社ノベルスに書き下ろされた物だったと思います。

「確かにいい作品ではあるけど、選び方が普通じゃん。幻の一冊って…」

私が言ってるのはノベルス初版(多分)です。
それも、恐らく初版全てが該当するのでもないと思います。

「古本屋に行けば買えるでしょ」

いいえ。よほど運が良くないと手に入りません。本体だけなら別ですが。


この作品が発表された事を新聞広告で知った私は、その日のうちに書店へ駆け込みました。
東野氏の名前や功績はよく知っていますが、特にファンというわけではありません。しかし、この当時の私は「本格ミステリ」と称されている小説は一つ残らず購入していました。好みかどうか等は二の次でした。魅力ある謎やロジックの魔術を提供してくれる人は誰でも大歓迎です。

買った本を家へ持ち帰り、早速いつものように「一度目の読み方」を始めました。

作者名と小説のタイトルを頭に叩き込みます。
カバーをチェックします。デザイン、色調、フォント…。異常なし。
帯も細かく調べます。念のため裏も。異常なし。
出版社名と、作者(東野氏)にとっておよそ何作目にあたるかを調べます。…このデータを一旦頭に入れておきます。
天地と小口をチェック。やや乱れあり。うーん…これはキープか?通常の乱れの範囲内ではある。
ここで一旦本を机の上に置きます。そして推理開始だ!この時点では、文章はまだ全く読みません。手も触れません。

3時間ほどじっくり考えた後、残念ながら異常なしと判断しました。「十字」と「ピエロ」の関係についてもかなり幅広い分野まで考えを巡らせましたが、結局捨てていいと決断しました。

そうです。トリックを探しているのです。私は全力で勝負しているのです。アホかと思ってはいけません。本文を読み出す前の時点で、既に「読者への挑戦」が密かに出されている事があります。私はどんな作品を読む時でも、最初は一度必ずこれを期待します。熱心なミステリファンならご存知でしょう。「わずか数ページ読んで、後は本を閉じ徹底して考えれば真相が分かる」という物凄い剛速球小説がごく稀にあります。もちろん犯人の名前や結末が分かるはずはありません。しかし、どのような事件が起きるのか、どんなトリックが使われるのか、どう推理すれば解決出来るのか…といったミステリとしての根幹部分のみなら完全に解けるケースがあるのです。ある意味、これこそが最上のミステリだと個人的には思っています。有名なところでは、我孫子武丸氏や西村京太郎氏には「前書きだけ読めば解ける」物があります。(明らかに作者が意図してそう構成しています)法月綸太郎氏にもこれに近い物がいくつかあります。

こういう作品は本当に希少です。しかし、私はこういった作者の常識的な小説の枠を越えた「本格ミステリ魂」に常に答えたいと思っています。

というわけで、ようやく本を開きます。と、何と!一枚の紙片がパラリと落ちて来ました。開いたページには事件の舞台となる屋敷の見取り図が掲載されていました。先ほどの紙片はここに挟み込まれていた物でした。
拾ってみると…あれれ?これも屋敷の見取り図です。両者を比べてみます。ざっと見たところ、全く同じように感じられます。紙片の方に何か書いてあります。何々…「見取り図の印刷が薄かった。そこでこの訂正紙を添付した」旨の説明でした。

来たーっ!東野圭吾ありがとー!

私は興奮を抑えきれず叫びました。全身の血が逆流するかのようです。
もう一度両方の図を比べます。さっきより時間をかけ、綿密に。同じです。全く同じだと断定していいでしょう。印刷が薄いという事実もありません。スケーリングもきっちり同じです。その当時の私の認識として、東野氏はどちらかというと作風が地味だと思っていました。凄いアイデアじゃないかこれ。何てアクロバティックなんだ!図が違うんじゃない。訂正紙を入れたという行為その物が重要なんだ。美しいぞ!よーし、そう来たか。これはたっぷり一週間楽しませてもらおう!

徹底的に考えました。調べもしました。図書館にも通いました。念には念を入れ、同じ本をもう一冊購入し、やはり紙片が入っている事(これは当然か…)を確認し、今度はその紙を透かしてみたり濡らしてみたり、さんざんいじり倒しました。物理的な面では異常なし!いいぞ!期待が膨らみます。

作者はなぜ訂正紙を入れたのか?

これが、この事件を解く最大の鍵です。
一週間かけて、20種類以上の仮説を立て、深く検証しました。いくつか有力と思われる物はありますが、この時点ではこれ以上絞り込む事は不可能であると結論付けました。ここまでのデータをまたしっかりと頭に入れます。タイトルとの関係も一応疑ってみます。私なりの論理でこれは却下。無関係です。知恵を絞りに絞って、読まずに考え進められるのはここまでだと判断しました。ふう。今のところ、私と東野氏はイーブンだと思います。いよいよページを捲り、本文を読んでいきます。

物語はとても面白いと感じました。特に語り部の視点に工夫を凝らしてあり、なかなか斬新です。そして事件が少しずつ進展し、推理するためのデータが徐々に揃っていきます。しかし、それだけでは犯人や真相の特定には直結しません。そうです。もう一つ、パーツが足りないのです。読者はこれを何とか探し出そうとします。
ストーリーも後半にさしかかり、私もふと新たな手掛かりに思い至りました。(ネタバレになるのでこれ以上詳しくは言えません)しかし、残念ながら私はそれ以上に目を向けません。ミスリードだ…。その方向で推理を行う必要はない。論外だ。

これに引っかかった哀れな読者に向かい、東野氏は最後の最後に笑うのでしょう。「だから露骨な形で訂正紙入れたでしょ。あんなに大きなヒントを冒頭であげたのにさ…。ダメだね君達。もっと頭使わなくちゃ」読者呆然!驚愕のラスト!しかし…

生憎だったな東野。決して作家としての力が足りないのではない。お前はよく戦ったよ。十分に立派だった。ただ、相手が悪かっただけさ。俺の手中には、最初から切り札があったんだ。

自信満々で読み進む私。残りページ数が少なくなって来ました。ふふん。先に掲げた私なりの仮説の中から、事件の真相を合理的に説明し、かつ残りのページ数の範囲内で作者がそれを説明し得るケースは…あった。一つあったぞ。これだ。これが、この事件の真相だ。はっはっはっ!悪いね東野君。また勝っちゃった。

残りわずか数ページ。あれれ?話の展開が…訂正紙の「て」の字も出て来ないぞ。おいおい。そうか、最後の1ページでどんでん返しか。ふふふ。そして…ありゃ?終わった。

本当にただの訂正紙でした。

念のため言っておきますが、同作は普通に読めばとても面白いミステリです。皆さん素直に読みましょう。ほな。


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